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両山泊・武館(旧サイト まとめ)

ここは武術関連のページです。
いくかのブロックに分けて書きます。

入口

私がなぜ武術に手を出したか、です。もちろんそれを武芸と知らずに母から水術を習っていた、ということもありますが、それは別の話。

身体道楽日記 強いって何だろう? ’99
に書いてありますが、もう少し補足。

この時の「思いがけないとき、思いがけない相手」は「父に家庭内で」でした。理由は父が息子2人の意見調整が出来ず、プレッシャーに負けてといったところで、今思えば間合いは数mで間にテーブルもあり、実害は全くありませんでした。
しかし、刃物を向けられるのがあんなに恐ろしいとは知らず、また無碍に暴力で命を落とすことはいけないと心から思った。
その時は本当に逃げた。飼い犬のポチすら置いて。そして、渋谷の道場に行ったときは、柳生心眼流の護身術としてゴム短刀に対する対処を行っていて、即入会した。

それから、簿の部じょゅつとの円が始まった。

2003年まで

柔拳連盟に入り、稽古を開始したときの初学者の記録です。
当時のリードをそのまま引用します。

僕が武術をやってみて、感じたことのページです。

ここには、なんで僕がこんなことをやっているのか、なんで真面目なはずの武術を道楽と言うかといったことを書いています。

でも、それを素直に書いてもつまらないので、稽古の内容なんかをポロポロと「身体道楽日記」(からだどうらくにっき)として書いていこうかと思います。それで、わかる人にはわかるだろうし、わからん人には「わからん」とあきらめてもらおうかと。

ちなみに、中國武術の専門用語が、ポロポロと出ています。注は入れますけれど、わかりにくいかもしれません。

1なんで道楽なのか
当時、どういう考えで武術をやっていたか。
2普段の練習風景
柔拳連盟の95年当時の練習風景です。
3’98 国内合宿/1
国内合宿のレポートです。
4’98 国内合宿/2
合宿レポート続き。
5’98 国内合宿/3
合宿レポート続き。その3です。
6道楽のはずが役に立ってしまった……
「ぶつかりヤンキー」に対して
7熱い演武会
全日本柔拳連盟の演武大会レポート。
8迅いぞ! 能の動き
武術をやっている僕から見た「能」という話
999年の年頭にあたって
武術を初めてからずっと御しかねていたことでした。
自分は何のために強くなるのか。
今見ると若いな(笑)。
10千年の想い
仕舞の型で片方の扇を楯、もう片方を剣と見立てるものを見せていただきました。
1199年の初稽古
年末にお仕事がはいったのはいいのですが、急激に仕事モードに突入したのと年末年始で道場がお休みだったため、一人稽古しかできず…
12レベルアップは2ストローク
今回はここに書いてはいますけれども、「武術」も「水術」も「バイクのライディング」でも共通する話で技量のレベルアップの話です。
追記:ブレイクスルーともいいます。
13強いって何だろう? ’99
上に書いたこと、そして後は恥ずかしいので本文を読んで。
14強いって何だろう? 2000
身体道楽日記13の続きです。
152000年 国内合宿
合宿レポート<2000/07/03>
162001年 国内合宿
合宿レポート <2001/05/25>
172002年 国内合宿
2002合宿レポート <2002/11/12>
例によって、練習の内容を書かない、合宿レポートです。
182003年 台湾研修(1/3)
2003年 台湾研修レポート(1/3)<2003年04月29日 >
なんと当時は台湾にまで行っているのです。
192003年 台湾研修(2/3)
2003台湾研修レポート(2/3)<2003年04月29日 >
饅頭とお箸のすりあわせ。
202003年 台湾研修(3/3)
2003台湾研修レポート(3/3)<2003年04月29日 >
お祀りで練習中断。宴会。
212003年 国内研修(1/3)
今年は書かないのーという意見がありましたので
222003年 国内研修(2/3)
続きです。
232003年 国内研修(3/3)
2日目 閉会式まで

2003年より後、眼に障害を負ったためしばらく稽古を中断しました。

中断から復帰まで

眼鏡屋さんに眼鏡を新調に行くと「何かおかしいですね、これはセカンドオピニオンとして今とは他の病院に掛かってみた方が良いですよ」と言われ、行ってみるとなんと網膜剥離→即日入院。
その後も緑内障の悪化などで障害者となり、ライター業も注文を受けられなくなって金欠と併せて道場に通えなくなった。ちょうど渋谷では新道場移転の頃だったはず。
ただ、私がラッキーだったのは、ネットの縁があったこと。
道場に通うという形でなく、講習会などに参加したりといった形で武術との縁は切れなかった。
再開のはじめの練習は五行拳から。覚えているのがこれだけだった、という情けない理由。児童公園の入口からブランコまでの30mほどを合計五往復。たったこれだけ。でも、ここから再開できた。幸い、コストもゼロ。
でも、ここから再スタートして、日本武術も再開、ずっと続いている。

その後のことは、本ブログでも更新中なので武術カテゴリーをご覧下さい。