身体道楽日記 その15

合宿レポート<2000/07/03>

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なぜか一部に読者がいるというウワサの合宿レポートです。
また、例によって合宿本体のことはほとんど書かないのだけれども、なぜ読む人がいるのだろう。

ちなみに、今回からはちょっとだけとはいえ、写真入りだ。ただし、合宿中は自分が動いているので写真はない。…では、何の写真だ、てことになりますけれども。
とはいえ、まだ暫定アップですので、写真は入っていません。

■小田原へ

合宿は「箱根・小湧園」で行われる。ここは、いままで一度も行った事がない(去年の合宿も実はここだったのだが、貧乏で参加していないのだ)が、名前だけはさんざん聞いた記憶がある。
昔、11PMなどを見ていると、よく宣伝をやっていたのだ。あと記憶に残っているのは「伊東にいくなら…」のハトヤと「楽しいロン●ン・愉快な楽しいロン●ン」だが、こんなことを書いていると、どんどんテーマから離れていく。

さて、箱根に行くには、というと小田厚道路を通るか、1号線を南下していけば簡単だが、天気予報が「嵐」と言っているので、どうにもバイクは危険と判断せざるをえなかった。もうひとつには、稽古が終ったあとにバイクで帰るのは少々不安があるという側面もあるのだが。
仕方がないので電車でいくことにする。
普通なら新宿から小田急でいくのだが、なんとなく東海道線でいくことにした。ちなみに、料金は東海道線の方が高い(ロマンスカーの場合は違うかもしれない)。ただし、なんとなく旅行気分が味わえるのは圧倒的に東海道線である。

■車中の風景

10:57 東京発。小田原到着は12時頃を予定。4人掛けの対面型の座席。なんとも遊山旅行の気分だ。
大船・藤沢と過ぎていく。周囲の風景がいかにものんきだ。都内(新宿など)でこそ必要と感じる武術だが、このあたりでならあまり必要ないかもしれないなと思った。
予定どおり、小田原に到着。

あたりまえの話だが、小田原には小田急がきている。その時まですっかり忘れていたのだが。
料金表を確認して、小田急でくればよかったかと後悔する。が゜、帰りのことをいま思いだしてみると、小田急の駅はあまりにもよく知っている(R246のとなりを走っているため)ので、旅行気分には東海道線のほうがよかったといえよう。

■小田原にて

小田原でと昼食をとるべくうろうろする。霧雨がしょぼしょぼ降っているのが情けない。
小田原の名物は何だろうと考えてみた。小田原評定…食えないな。小田原提灯…これもだ。小田原かまぼこ…食えるし、うまいだろうけど、これはどっちかというとお土産だ。

適当にてんぷら屋に入る。てんぷら定食800円。値段はこんなものか。
そこそこうまい。海に近いといっても漁村ではないからしかたがない。
腹が満ちたのと、時間があるのとでしばし小田原を見物して回る。てんぷら屋でお城(小田原城)への道を聞き、城に向かう。
一応うろおぼえで書いておくが、小田原城は北条氏の城である。規模の大きい城で、秀吉が攻めたときも急に攻めることはしなかったという。
実際に歩くと本当に広い。きちんと曲り角は急になっていて、上から常に見下ろせるし、道幅もせまい。登り坂もきついのには閉口したが。

ようやく本丸までたどり着くと、そこにはがいた。
象である。鼻の長い大きい動物。
僕も驚いたが、小田原城祉は動物園のある市民公園となっていたのだ。
本丸はコンクリートで再建されたもののようであった。
本丸にも登ってみたかったが、ここまでに意外なほど時間を食っているのであきらめる。
かわりに市民公園をうろうろして、茶店でだんごなどを食い、「あなたも武将・姫になってみませんか。鎧レンタル」といった看板を見つつ、「あ、この変身なら、僕にも似合うかもしれないな」などと考えていた。無関係だが、いまこれを入力していたら、不精と出た。これならますますぴったりである。
これで、よい時間になったので、駅前に戻ることにする。
ここから箱根の合宿所に向かうのだ。 最初は箱根登山鉄道でいく予定にしていたが、駅前のバスが小湧園にいくと表示があったので、予定を変更してこれに乗る。

■小湧園にて

合宿所に到着すると、すでに何人かの知った顔がいる。早く着いていたらしい。さっそく「ヒクソン殺人」(スリーパー)と書かれたスポーツ新聞をとり出し、これをネタに馬鹿ばなしに興じる。なんだかんだ言っても、皆好きなので盛りあがる。

しばらくすると「鳳凰の間」で稽古ができるという情報がはいる。そこですぐに行こうとしたのだが、さすがに古い温泉旅館、建増しに建増しを加えた結果、完全にダンジョンと化している。どこに、その「鳳凰の間」があるやらさっぱりわからない。
ホテルの係員も場所をいまいち把握していない様子であった。かろうじて見つけた頃には、早着稽古の時間はほとんど終了していた。まことに残念であった。

■合宿初日

しばらくのあと、部屋に荷物をしまい、開会式に出る。
稽古のコース(形意拳、太極拳、合気、気功など)の説明など聞くが、今回はあまり関係がない。なんといっても、やることはここにくる前からすでに決まっているのだ。
その名を「鍛練コース」。だが、道場の人間はもっとわかりやすく言う。
「特訓コース」である。一昨年から新設され、ひたすら五行拳のうち劈拳と崩拳だけを打ちつづけるというものだ。
体はきついが、こういうものを書くには、やったことはこれだけなので楽ちんである。

とりあえず、「鍛練コース」に指定された部屋に移動する。
今年は室内なのがありがたい。屋外だと日焼けしてとても大変なのだ。
初日は劈拳500本とのこと。


稽古開始。
参加者は7人。まぁ、来そうなメンツばかりではある。ちなみに、初年度は参加者30人、本数800、去年は15人の1200と聞いた。今年は、本数は1500の予定とのこと。

最初は一時間1000のハイペースだったが、途中(200)から型を丁寧にチェックしながらとなってペースダウンする。
ちなみに、ペースダウンした後のほうがきついことは言をまたない。
今回は「ゲキテイ」は鳴り響かなかった。たぶん、ドリームキャストで買いなおしたばかりで、まだプレイしていなかったのが悔しかったためだろう。って、一昨年のレポートを読んでいない人には何だかわからないだろう。
最後だけちょっと姿勢を低くして気合を入れる。
稽古内容を一言で書くと「劈拳を打った」だけ。

稽古が終わったら、食事となった。
大量の食事がある。が、みるみるなくなっていく。しかし、こんなにたべものが減るのは、うちらのテーブルだけらしい。まぁ、本部の若い連中があつまっていたためであろう。とはいえ、さすがに食べるのがきつくなった。それだけの量があつたのである。それでも、なんとかすべての食べものを片付けた。
しかし。テーブルが空になると、他のテーブルから「あら、それでは、こちらのあげるわ」と、追加が来てしまった。皆、うっという顔をしたが好意をむげに断るわけにも行かない。決死の表情で食った。
ちなみにこの食事のやりかたを「ああ、台湾式だな」といって喜んでいた人がいたことを付け加えておこう。

■合宿2日目

この日はさる事情があって眠れなかった。体はひどく疲労していたのだが。
やむをえず、部屋を出て早朝練習の会場に一番乗りして待つ。とはいえ、なんせ4時ではだれもいない。壁に寄りかかって休む。
するうちにしばらく眠ったらしい。人の気配に目を覚まし、しばらくしたら稽古開始となった。
早朝稽古は、気功と太極拳。これに参加しておかないと、後で目覚めがすっきりしないので稽古が辛くなる。が、さすがにこの時ばかりは疲労と睡眠部足で苦労したのであった。

バイキング形式の朝食の後、二日目の稽古になる。今日は崩拳だ。
参加者中にまだ崩拳の転身を習っていない方がいたため、簡易形式の転身となる。そのため、ちょっと転身には戸惑った。
しかし、後になって、ひとり稽古のときに間違えそうになったが。

本日は前半はチェック付き、後半はハイペースですすむ。
カウントしていたはずの指導員が「いま何回でしたっけ」と言い、全員に動揺が波のように広がった(へたをすると、『じゃあ、ここからカウントしなおしましょうか』とか言われかねないと感じた)。他の指導員さんの「最初からで382回です。」とのことでことなきを得るが。

500回を過ぎた頃から100ずつのカウントがはいる。
「500」と聞いた途端に力が入る人やら、変らない人やらいて、見ているとおもしろい。
900を越すと、10ごとにカウントがはいる(1往復【公称】10回なのだ)。
が。ずっと声を出していた指導員さんもこのころになると疲労が出ている。
往復でカウントして「あと●回」と言うのだが、突き当たりまで行ったところで「あと……」と言いかけてしまう。
言った後に気付いて、(何回だっけ)と考えているらしく、かけ声が止まる。それでも動き自体は止まらないのはすごい。
「6.5」(笑)と、声がかかってなんとか立て直す。
それがもう一度あった。しかし、こんどは自分で「あと3.5」と言い直し、続けてしまったのはさすがであった。
もうひとつエピソード。
終了30分ほど前、ほかの指導員さんが「そろそろ先生の…」と言いかけるが、「あ、ここはいいですね」とさっくり立ち去ってしまった。まぁ、たしかにそのとおりなんだけど、ちょっと悲しかった。

1000回が終了した。
脱落者なし。いいことだ。
どへーとなるが、とにかく収めた後に、記念撮影。(このためにカメラをもってきてあった)
たった七人しかいないので、フレーミングも楽だ。

稽古終了後、すぐに閉会式である。
閉会式までの間に時間がなく、ばたばたするが、1000回が終了した高揚感もあり、閉会式では元気であった。指導員の方は1000回打ったあとに、さらに演武されたかたもいるのだから、僕なんかは到底及ばない。

■稽古のあとに

閉会式の後は選択で稽古もできるのだが、さすがに(睡眠不足もあって)帰ることにした。
ほかの本部の人たちといっしょに帰ることにしたのだが、ここにミスがあった。
せめて、一口でも食べ、飲んでから帰るべきだったのだ。
バスの中に一時間以上いた。チョコレートをひとつもらい、これはとてもありがたかったが、それだけでは持たなかった。

その後で、蕎麦を食いに行くのだが、もはやそのあたりでは脱水と疲労で意識が呆けていた。たしかにうまい蕎麦だったが、身体の欲しているのはもっとパワーに直結しているものだったように思う。
皆とわかれた後、速攻でコンビニに行って甘いものと飲物をガツガツとむさぼる羽目になったのであった。
水分とカロリーの補給は、やはり重要であった。

ちなみに、他の皆さんはロマンスカーで帰られたようだが、僕はただの急行。
「あ、愛甲石田だ」とか通過する駅で考えていたが、そのうち眠ってしまって、気付いたら、もう都内であった。

ということで、合宿も無事終了したのであった。


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