92年お盆ツーリング古いツーレポですが…92年の8月。まだ限定解除もしていないし、乗っているのも先代のGB250の勘吉くんである。 まぁ、なんというか標準的なツーリングだなぁという感じです。 昔の文章ですが、ほとんど手を入れてありません。 お盆は、本来広島へ行く予定だったのだが計画がつぶれ、やむなく、ワンデーツーリングとなったのであった。 全行程 554.85km。まぁ、一日走り回ったという感じである。では…… ■出発〜赤城IC前日の夜、突発的に計画を15分で立てた。「とにかく、日光に関越道から行こう。で、東北道か時間があったら常磐道で帰ってこよう」 朝、4時半に起床。サイドバッグに地図とウインドブレーカーを投げ込んで出発する。 ほぼ満月の月が低い角度で天にかかっている。これが沈むと夜明けだな、と考えつつ走る。 環七から目白通りに入ったところで給油。その前に250km走っていては、いかに勘吉(GB250)の燃費がよくても、途中でガス欠になることはわかっている。 早朝のため、スタンドの店員はひとり。忙しいのは判るけど、ガソリンタンクのフタぐらいは閉めていってくれてもいいんじゃないか? 新座料金所で、5時を回ったところ。いったんスタートするが袖がバタつくので、ちょっと直してから北へ向かう。所沢IC付近で曙光が射しはじめる。 毎度のことながら、僕はこの瞬間が大好きである。この時間が好きだから、わざわざ夜明け前にスタートしているのだ。(もっとも、時間を有効に使う方法でもあるけど) 寒い。嵐山ICでちょっと止まってウインドブレーカーをジャケットの上に着る。ついでに、重いベルトポーチをバッグの中にしまう。 それからしばらく走っていると、分岐の表示がある。「げげ、こんなんあったっけ?」なにも調べていない悲しさである。藤岡JCであった。「ええい、こっちだ」山勘でまっすぐ行く。しばらく不安だったが、あっていたようだ。 駒寄PAにて、ちょっと停車して手洗いを使う。と、トイレの横にテントがある。 「はて? なんじゃこれは。道路公団のトンネルのアトラクションとはちがうようだし」 見ると中には人がいる様子。近くにはXLRとBAJAがある。 「なるほど」と納得はしたが、ちょっと非常識だと思う。 ■赤城IC〜日光赤城ICで、高速を下りる。ここで、赤城西麓広域農道へとコースを取る。適当なワインディングで、車は来ない。快適……のはずだったが、前夜の雨で路面が半分ウエットである。最悪のコンディションである。 予定では途中で右折してR122へ行く予定だったが、曲がるのをころっと忘れて薗原湖の横を通る林道を抜けてR120へ出てしまう。ちなみに、この林道、完全舗装でクネクネしているのはとてもよかったのだが、滑る。広域農道とあわせて数回はリアタイヤが滑った。路面が悪いことは承知していたので、ずいぶんペースを落としていたにもかかわらず、である。もっとも、どれも「おっ」と思った瞬間には復帰していたけれども。 R120に出て、とりあえず「日光」と書いてある道路案内にしたがって走る。 途中で「吹割の滝」で止り、そこにいた家族連れの方に聞いて現在位置を知る。 しかし、1/10万の首都圏ロードマップからはみだしていた。その結果、地図なしでしばらく走ることになる。次第に路面も乾き、快適になってくる。 日光へと向かう途中、10台ほどのツーリンググループと一緒になる。そのグループは、落ち合う場所を決めての自由走行だったらしく、一緒に遊んでくれたので楽しかった。しかし、CB750より前の数台は抜くチャンスがなかった(^_^;)。 金精山トンネルを越えると、非常に濃いガス(霧)である。2台前のバイクがもう見えない。びびってペースを落とす。その後、そのグループと別れ、中禅寺湖に到着した。 ■日光二荒山神社中禅寺湖へ到着した。と二荒山神社があるので、お参りをする。この神社は大己貴命(オオナムチノミコト)を祭った神社である。 この神社は男体山自体が神社であり、表にあるのは拝殿だけ、といっても拝殿は入り母屋造りの立派な建物である。 奥殿まで登ってみようかとちょっと思うが、山道を往復12kmと聞いてあきらめる。ブーツで登れる距離ではない。しかし、登りたかったなぁ。 入るときにもらったチケットで宝物殿に入る。と、そこには長さ1丈1尺2寸5分の巨大な刀がある。ちなみに、1尺=31.5cm、1丈=10尺である。 銘を「祢々切丸」(ねねきりまる)と言い、祢々という怪物を斬った御神刀だそうである。また、重さは6貫匁=22.5kgある。普通の人では持ち上げるだけで、武器としては扱えまい。さすがは神様と言ったところである。また、それを打った匠の業もすごいものがある。なお、後で見た資料によると日本一の大太刀だそうである。 このへんの単位などは、宝物殿の神主さんに聞いたのだが、非常に丁寧な説明をしてくださって、恐縮してしまった。また2階には、室町時代に実戦に使用されたという4尺の大刀があった。これですら背中に背負うほど大きいものであった。 ■華厳の滝・東照宮・杉並木から宇都宮へとりあえず、東北自動車道の宇都宮ICへ向けて出発する。まだ、午前10時である。時間はたっぷりある。途中、右側に「華厳の滝」という看板があったので寄る。ついこないだも社員旅行で来たところだ。今回はお金がもったいないので、有料エレベーターには乗らず、上の展望台ですますことにする。と、途中の売店で「五平餅」を売りつけられる。 まぁ、買うほうがあれなんだけど、そんなに「ハラヘッタ」って顔をしてたのかなぁ。 ここから、第2いろは坂を下って日光市へ。坂の途中追い越し禁止のマークの下になにか「二輪……」とあったので読んでみてあきれた。 【追い越し禁止】ただし、二輪車を追い越す場合を除く こんな場所で追い越される二輪車があるものか。 なんとなく滝を見て、次に東照宮へ行く。しかし、僕はタヌキじじいは嫌いなので、門まででひきかえす。周辺はかなり渋滞している。 日光杉並木(R119)に入る。と、しばらく行って逆行していることに気付く。 タヌキじじいのたたりか。取って返して、宇都宮へ向かう。 R119は良い道路である。杉の木の間の道はすこぶる心地好い。もっとも、花粉症の人にとってはぢごくであろうなどと考えつつ走る。 しばらく走ると、眠くなってきた。いかん。 なんでもないところにバイクを止めてしばし休憩。鳥の声がする。ボーッとしていると、気持ちがいい。トリップを見ると、250kmである。 「そろそろメシを食うかなぁ、11時をこえたし、ランチタイムになっただろうし」などと考える。あくまでもセコいのであった。 休憩を終え、15キロほど走るとファミレスがあったので入る。700円という値段に惹かれてステーキなんぞを注文してしまう。もっとも、疲労をカロリー補給でごまかしてやろうという魂胆もあったので、威張れた義理ではない。 食事を終えてちょっと走ると宇都宮市内である。 ■宇都宮から益子へ宇都宮へ到着してまだ12時である。さらに常磐自動車道へと向かうことにする。その途中に焼き物で有名な益子があるので、ちょっと寄っていこうと考えた。 そこまでは良かったのだが、またもや道がよくわからなくなる。 結果としてはあっていたのだが、R119からR4へ、そして「たぶん」R123から(このへんがよくわからんのじゃ(^_^;)) R294へ出て、益子へと向かった。 とりあえず、益子にたどりついたので、よしとしよう。アバウト? いいのである。ひとりなんだから。 益子の周辺まではただの田園地帯で、市内に入ると急に焼物の看板と店がある。節気な感じである。 益子市内でトリップが300kmを超えたので給油。307.6km/10.5 l とあまりよくない。 ワインディングでツーリングの人達と遊んだせいかもしれない。 ■益子にて益子では「お盆特別セール」とかで、「窯元直販センター」というところでセールをやっていた。ラッキーである。カッと照り付ける日差しの下にテントを張り、ゴチャッといった感じで焼物を売っている。人出も多く、どこかお祭りの感じがする。 氷と、イカ焼き、そして大阪焼きなる謎のものを売る屋台が並び、テントの方では、足の踏み場もないほど焼物が並んでいる。テントの日陰の外にまで焼物があふれ、それにさわると太陽に灼かれて熱い。そして、なによりも人の熱気にあふれている。 テントのなかには、業務用のでかい扇風機が回っていたけど、それは熱い空気をかき回しているだけだった。 それにしても、さすがは本場・益子である。すごくいいものが、安い。 デパートの民芸品売り場にでも行けば、2〜3千円はするようなものが、2〜3百円で売られている。銘の入っているようなものではないが、素晴らしい出来のものが、である。 湯飲みのセットが3千円というのは欲しかったがあきらめ、ひとつだけの湯飲みと、コーヒーカップとソーサーを買う。しめて1400円。後で黙って人に聞いたら「それぞれ3千円以上だと思った」とのこと。 商品を買うと、いいかげんに新聞紙でくるんでくれる。割れやしないかとちょっと不安があったが、サイドバッグのウインドブレーカーのなかに突っ込み、ふたたび出発した。 次の目的地は銚子・犬吠崎である。 ■銚子を目指してこの時点で、3時半である。そのまま水戸あるいは土浦から常磐道に乗れば日があるうちに帰れただろう。しかし「よし、前回の台風ツーリングの敵討ちで犬吠崎へ行こう」などと考えたのであった。しかし、現実は厳しかった。さすがに疲労してきたのである。R294を南下して、下館を過ぎると、眠気がきざしてくる。 「こりゃ、ヤバい。次のコンビニを見つけたら入ってなにか食って呑もう」 しかし、行けども行けども田んぼばかりである。のどかな田園風景で、ツーリングとしてはたいへん気持ちがよいのだが、余計に眠気を誘う。 なんとかコンビニが見つかる。パンと500の乳飲料のパックを買って腹に収めて、休む。ふぅ。 眠気がすっかり抜けたので、さらに走る。下妻から左折、R125をつくば・土浦方面へ。土浦市内で、例によって少し迷った後、R125を佐原に向けて走る。その途中で気が変わる。 「犬吠崎の前に、鹿島神宮へ行こう」 ちなみに、実は僕は神社という奴が大好きなのである。寺はあんまり好きではないけれども。 しかし、この決定が思わぬ結果を生むのであった。 ■鹿島神宮R125からR51へ。鹿島へと向かう。さすがにこのころには尻がいたい。そろそろ家を出てから12時間である。川沿いを通って鹿島へ向かう。水辺の風景が美しい。スピードをゆるめ、のんびりと走る。 しばらく走ると鹿島神宮に到着した。武道の神という思い入れがあるせいか、荘厳な感じを受ける。ちなみにここに祭られているのはタケミカヅチである。(漢字が無い) 杉野巨木がそびえる参道には、ヒグラシの声が降っていた。日はやや傾き、こわいほどの風情がある。 拝殿を過ぎると、左手には御神鹿がいるところがあり、さらにその奥に奥殿、御手洗池(みたらいいけ)、要石などがある。 全部歩くのは(ブーツにジャケットでは)ちとしんどい広さだが、実にすばらしい。 なお、ここにも御神刀があり、日本最大の刀(直刀/二荒山のは太刀)があるか、残念ながら、拝観時間を過ぎていて見ることができなかった。残念である。 ちょっと迷ったが、御守りを買う。伊勢のアマテラスとあわせて、相当強力であろう。 しかし、やっぱり諏訪大社の御守りと一緒に持つのは良くないかもしれないなどと考える。(註:諏訪大社の祭神はタケミナカタ。タケミカヅチに投げ殺されたのである) ■帰路鹿島神宮を出て、バイクの横の地べたに腰を下ろして、メモを取っていると、近所のおじさんに声をかけられた。「どちらから来られたのかね? ……練馬ナンバーだから東京だね」 「ええ」 しばらく、話をする。今でも杉の木はすばらしいが、昔はもっとすばらしかったそうだ。それから、どこへ行くのかと聞かれた。 「これから犬吠崎へ回ってから帰ろうかと」 「それは……」おじさんはちょっと無理ではないかと言った。その時、すでに6時だったからだ。「行くまでに1時間、帰りも同じだけかかるよ」鹿島から犬吠崎は40kmをちょっと欠ける程度である。 「行く前に日が暮れてしまうよ」 この一言で、やめることにした。いくらなんでも、日が暮れた後の犬吠崎へ行ってもしかたかない。本来だったらこのあたりにキャンプする場所か宿をさがすべき時間だ。 御礼を言って別れ、家路につく。犬吠崎は今回もお預けである。そろそろ日も暮れ始めている。 潮来から東関東自動車道に乗る。あとは書くことはほとんどない。無休憩で首都高を通って一路自宅へ。途中、首都高の案内がわかりにくいので、ルーレット気分を味わったぐらいの事だ。 そして、自宅に無事帰着。20時30分。総走行距離554.85km。無事故・無違反・無転倒であった。 |