身体道楽日記 その5

'98国内合宿レポートその3<98/06/05>

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■合宿最終日

めずらしく(わずかとはいえ)酒を飲んで寝たら、いったん5時に目が覚めるが、身体がどうしても寝ろと言い張るので2度寝する。
とはいえ、6時には起きる。練習開始予定は7時からだが、それより早く起きて身体を動かしておかないとキツいことを前回の合宿で(ぎりぎりに起きて稽古したことで)学習しているのだ。身体が寝ていては稽古にならない。
これまた去年の教訓にしたがって、トレーナーをTシャツの上に着ていく。
6月とはいえ、高原の朝はとっても寒いのだ。
とりあえず、朝練の前にすこしだけ抜筋骨をして、太極拳の最初のところをやる。五行拳はやらない。別にやってはいかんことはないのだが、今日もどうせたくさん打つのだ。

30分ほどすると、人が増えてくる。
昔、本部で一緒だったが、今は別の支部にいる方と推手などをして時間をつぶす。
「ひさしぶり」という感じで始めたのだが、シャレではできないと2秒ぐらいで気がつかされて、まじめにやる。けれども、かなり危ない。
そうこうするうちに練習開始となった
朝の挨拶の後、すぐに動く。身体は軽い。前日までの仕事の疲労も、稽古をしてよく寝ただけあって改善されている。
抜筋骨から太極拳の最初のところまで。

■こんどは崩拳

1時限(というのかな?)が終わると、それぞれのコースに分かれる。
柔の人たちはどうなっていたんだっけ。自分が参加していないところは一切把握していない。このへんが公式でないところの弱みである。
それはさておき。
昨日に引き続いて「鍛練コース」である。
今日は崩拳。なんと25人、ただひとりの脱落者もなし。それどころかかえって崩拳だけ参加する人もいる。やれやれ、逃げ出せんではないか。
まぁそれぞれ皆、へんな言い訳がついているのがおかしいのだが。
「途中でやめるとシャクじゃん」
「逃げたと思われると腹が立つ」
など……。ったく(^_^;)。

とにかく、崩拳の開始。
打つ、打つ、打つ……転身、打つ……
つまらないですね。この描写は控えましょう。でも、ずーっとこればっかりなんですから、しかたがない。

とはいうものの。
暑い。
朝はよかったものの、日が昇るともう暑い。
6月まであと1日というのは伊達じゃあない。ぶぉっと汗が噴き出してくる。
とはいえね昨日のような気持ちの悪い汗ではない。普通の汗だ。
そして、もうひとつ。日差しが強く、空気が(多少)薄くきれいで、この季節。
まずいことに半袖であった。
そう。腕が日焼けしていくのがわかってしまったのだ。
だからといって止めることはできない。ついでに首筋の後ろもちりちりと灼ける感覚がある。ひぃいいいい。
それはともかく、崩拳は劈拳とタイミングが違うためか、歌が頭の中に鳴り響くこともなく終了。もっとも、劈拳より30分ほど短かったためかもしれない。
ただ、規定回数を越えたときに「まだ続けますか」と言われて、皆、時間いっぱいやろうと言うのである。なんてこったい。

■合宿最後の練習

崩拳が終わると、コートを移動して、単推手。
もちろん、いろいろな説明があったり、デモンストレーションがあったりしたのだが、筆者の描写力の限界から、ばっさり割愛。
支部の方と推手をしたのだが、相手の方が止まったところで、ついそのまま逆にとってしまい「そんなにすることないじゃないですか」と言われる。
ううむ。

推手が終わると、閉会式。演武と続く。

それから昼食となった。
……昼食については何も語りますまい。うん、時間に遅れた我々がいけなかったんだから……
食事が終わると、午後の参加は選択可能となる。(もっとも、遅刻、早退は可なんだけれど、閉会式の後は特別にオプショナルな気がする)
ちなみに、この時間こチェックアウトだが、僕はそのことをころっと忘れていたため、練習場からいちど荷物を取りに戻る羽目になった。
途中で「忘れ物か?」と聞かれ、「そうです」とはこたえたものの、なんのことはない
ほとんど何も持っていなかったのだ。忘れ物どころではない。

午後は太極拳クラスに参加。形意拳クラスに出てもよかったのだが、とりあえず五行拳は今はいいやという感じだったためである。(甘い(^_^;))
太極拳は3つのグループに分かれて練習。あまり時間がないので、全部を通してやることはできないのだ。
それにしても、腕と首筋が日焼けで痛い。ちなみに、帰るころには亀状態であった。
首筋を伸ばすとすれて痛い。
それから、推手。今度は反省して穏やかに……というか、相手によるんですけど。
ということで、すべての練習は終了。

■帰りは楽ちんに

後は、また来た時の逆コースで必死こいて電車で帰った……らおもしろい話なのだが、帰りは前述のHさんのスカイラインに便乗、ささっと帰ってしまったのであった。

ちなみに。
さすがに疲労はけっこうなものがあり、帰ったすぐの日は眠れず、翌日に激しい疲労が残ったのであった。

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